織田信長は天文3(1534)年に生まれ、室町末期に活躍した尾張の武将です。
永禄3(1560)年、信長は桶狭間の戦いで今川義元を破り世に名を轟かせましたが、その際に貨幣(永楽通宝)を驚掴みにして天空に投げ気運を占うと、全ての貨幣が表側で揃い、「天は味方についた」と言って軍の士気を高めたといいます。
永禄10(1567)年に美濃の斎藤氏を減ぼすと、翌年には足利義昭を奉じて上洛を果たし、義昭を将軍位につけます。
武田氏、朝倉氏、延暦寺などから成る信長包囲網が結成されますが、元亀元(1570)年に浅井・朝倉両氏を破り、翌年には比叡山延暦寺焼き討ちを断行しました。
天正元(1573)年に将軍義昭を追放すると、天正3(1575)年には長篠の戦いで武田勝頼に大勝。以後、天下布武を推し進めました。
既存の権威や勢力(朝廷・仏教など)を否定し武力で排除する一方、新しい考え方や文化を取り入れ、出自に囚われない大胆な人材登用や伝統に縛られない新機軸の方針・政策を断行して、応仁の乱より続いた戦国時代の終結を目指しました。
天下統一を目前とした天正10(1582)年6月、家臣・明智光秀の謀反により、京都・本能寺において自害しました。
(光忠(長船鍛冶の祖)は鎌倉時代1239年から1275年に長船鍛冶の頭領として活躍した刀工で、織田信長の愛刀の一つでもありました。)
刀身 |
長さ2尺4寸0分 厚口刀身 |
刃文 |
備前国長船住光忠 |
ハバキ |
真鍮祐乗 |
鍔 |
T-127 永楽通宝(鉄) |
柄 |
時代鉄正絹捻り巻 |
金具 |
KY-113 永楽通宝(真鍮古美) |
目貫 |
MY-70 小銭(真鍮古美) |
鞘 |
暗朱ツヤ |
※1 受注生産品です。製作期間は3~4か月程度です。
※2 柄は糸が緩みにくいよう一部糊付けするため、糸色によって少し染みが出る場合がございます。
観賞用としてお作りしておりますが、居合などの武道でお使い頂いても問題ない強度はあります。
刀身の長さを変更するなど、上記仕様以外のカスタマイズをご希望の方はお問い合わせフォームよりお知らせください。