室町時代、時の将軍家である足利家はその道に達した者に対して「阿弥」と呼ぶことを許した、と言われ、その中でも「正阿弥」は刀剣関係の金工師としてその名乗りを許されたと考えられます。
足利家の崩壊とともに正阿弥の権威は失われていきますが、地方においては正阿弥家で修行した者は重宝され、鍔のメーカーとして各地で明治時代まで栄えました。
正阿弥は京はもちろんのこと、伊予・阿波・庄内・秋田など全国各地でその名を名乗る者が鐔工として活躍し、作風も様々です。
会津は江戸時代中期以降、長門(山口県)とともに鍔の二大産地として栄えました。現在も当時作られた多くの鍔が残ります。評価は必ずしも高くはないものの、おおらかな雰囲気の物が多いです。
木菟(ぼくと)とはミミズクのこと。
しっかり描かれているのは松の木に留まる一羽のミミズクと裏面の波のみ、闇夜を槌目地で表し、何も見えないけれども何かありそうな森の暗闇が表されています。
大きさは大きすぎない大きさですが、やや重めなので、仕組んだ時のバランスに注意が必要です。
素材 |
竪丸形 鉄槌目地鋤出高彫 象嵌色絵 土手耳 |
重さ |
135g |
縦 |
78.7㎜ |
横 |
74.5㎜ |
耳厚 |
3.4㎜ |
切羽台厚 |
4.6㎜ |
鑑定書 |
日本美術刀剣保存協会 保存刀装具鑑定書 |
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